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養護教諭が守りたい「ただいま」が当たり前の大切さ

養護教諭が守りたい「ただいま」が当たり前の大切さ

母になって思い知らされた「ただいま」と子どもが無事に帰ってきてくれることの大切さ。
養護教諭として勤務していた経験もあり、保育園帰りの息子を見ていて複雑な思いになることもしばしばありました。

本記事では養護教諭になってから母になった私のリアルな経験を書いてみたいと思います。

早くお迎えに行かないと!

帰るギリギリの時間になって来室する生徒。
勤務時間もとうに過ぎている。

部活が勤務時間外にあるので仕方のない話なのだが…。

「もうちょっと早く来てよ…」と思うことも正直ある。
それでも、手当なり、話を聞くなりしないとと思い対応すると…。

時間がない!!
保育園に時間延長のお願いの電話を急いで入れて、電車の時間を調べて飛び乗り走って帰る。

「あぁ、もう、今日もギリギリだ…。」

周りはとうにお迎えに来て帰っている。
最後まで残っている息子の姿を見て「ごめんね…」とどうしても思ってしまう。

寂しかったのか駆け寄ってくる息子。
親の気持ちとしては「いってらっしゃい」と送り出した姿のまま「ただいま」と帰ってくることが当たり前だと思っている。

私もそうだった。

急いで帰ってご飯に、お風呂に、寝かしつけ…
あ!明日の保育園の準備もしなきゃ…。

「ただいま」というその姿は…?

お迎えから、帰って来てからも育児に家事にバタバタ。

みんこ

あれ?こんなところに傷??

息子が保育園から連れて帰ってきた時に目の近くに傷を作って帰ってきた時に何も説明のない園に不信感を抱いた。
傷の形からして誰かに引っ掻かれたか、おもちゃが当たったか。
自分でやった可能性も0ではないが、キズの場所と形からして可能性は低いと思う。

顔の傷は…。
養護教諭の皆さんなら、そう「首から上のケガは特に要注意。」と知っていますよね。

そして翌日、担任に聞くと「知りません。気付きませんでした。」と。
あんな傷ができたらさすがに泣いてたと思うのだけど。

「目に当たってたらどうするの?」と言いたい衝動を抑え
「今後何かあれば教えてください。よろしくお願いいたします。」とその言葉を言うだけで精一杯だった。

2歳の息子が「あの子がこうしてあぁして、こうなったの」って説明なんてできない。だからこそ見ていてほしいのに。

(1度転園しているのだが、前の園ではどんなに小さな傷も報告してくれていた。私は保育士資格も持っており、子どもを相手にする大変さも理解しているつもりですが、だからこそ相手のいるケガについては特に注意してほしいという思いがあります。)

私は神経質なほうではないと思います。
むしろかなり大雑把な性格。
自分の子どもの子育てに関しても。
いざとなれば応急処置できるし!とドンと構え子どもがやりたいことはよほどのことがない限り目の前で好きにさせる。

子どもはケガをするものだよね~それも覚えてもらわないとね~と自分で転ぶのも、少々危ないことをして失敗するのも「経験」として見守っている。

ふと、養護教諭の経験を思い出す。

養護教諭としての処置に非がない時にも大きな怪我の時には保護者へ説明するときに「申し訳ありません」と言っていた。

もちろん私が怪我をさせたわけではないけれど。
大切な子どもが家を出た姿で帰せなかったという事実に対しての感情だ。

多くは感謝してもらえるが、時には強く批判されることもある。
もう一度断っておくが、子どもが自分で怪我をし、私は応急処置をして医療機関を受診したのにも関わらず、だ。

でも今ならわかる。

保護者は我が子を愛し心配するがゆえに、怒りや悲しいという感情をぶつけるところがないのだ。
そして、その時の保護者の感情までもを受け止めることが養護教諭の1つ大切な役割のような気もしている。

後日、冷静になった保護者から謝罪の電話があったこともある。

今なら気持ちは痛いほどわかる。
保護者に悪気がなかったことも。

目の前の子どもをアセスメントし、緊急度を見極め、医療機関への搬送までの時間、それまでの応急処置がいかに大切かということを養護教諭は知っているだろう。
学校において養護教諭は命を守る最後の砦だということを常に心に刻んでおかなければならない。

「ただいま」を当たり前だと思っている日常に「当たり前」を。

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